宇山堰石樋(うやませぎいしどい)
立科町蓼科地区にある宇山堰は、慶安元年(1648年)芦田の住人土屋庄蔵並びに遠山長作の両氏により40キロ(十里)に及ぶ長途の水路を完成、その後、黒沢嘉兵衛氏の八重原堰開削にあたり、堰筋の交換など助力を得、以来三百有余年稲作農民の手により維持管理されてきた。
堰筋には、山腹の急傾斜地や岩場(ガラ場)、石場(ゴウロー)地帯などの難所があり、漏れ箇所が多く引水には毎年春先に土芝を切り出し、芝踏みをして通水していたが、明治初年、石樋に改良することとなり、春先の土の凍みが溶けてから水田の入水期までの十数日の僅かな時を工期として年々継続すること19年、難所234メートル(128間)の石樋を完成した。
昭和35年、県営農業水利改良事業が進むにつれ、水路は変更となり、今では使用されなくなり一部も破壊もされているが、過去3世紀余にわたり稲作農民が人跡未踏のこの山中に登り潅漑水を求めた苦労を思わせる用水堰である。
地図
所在:大字芦田八ケ野
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更新日:2023年03月31日