一里塚(笠取峠)
中山道は、中仙道とも書くが享保元年(1716年)に東山道の中枢の道であることから、中山道と呼ぶとあり、また木曽を通るので木曽路ともいわれ、五街道の内では、東海道に次いで、江戸―京都を結ぶ主要路線であった。
一里塚は、この道一里間につくられた道標の遺跡である。当時の輸送が宿ごとに荷物をつけかえる習慣から、輸送距離を知るための路程道標でもあったとされ、その目印に松の木などが植えられた。
この笠取峠の一里塚にもアカマツが植えられ、その大木が今なお当時の街道の面影を残している。
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更新日:2023年03月31日