厄除観音堂
立科町外倉地区にある厄除(やくよけ)観音堂は、慶応2年(1866年)に上田市別所の常楽寺の北向観音堂外倉分堂として建立されたものである。嘉永3年(1850年)外倉部落の子年生まれの者を主とした7名が厄除観音講をつくり、以後、順次加入するものが多く、ついには牛鹿区全体におよび70名を超した。
そのため、本尊の千手観世音菩薩座像(せんじゅかんぜおんぼさつざぞう)を善光寺仏師に依頼して造り、次いで当堂を4年がかりで造営して本尊を安置した。なお「大般若経六百巻(だいはんにゃきょうろっぴゃくかん)」をはじめ「分堂縁起書(ぶんどうえんぎがき)」「御本尊出現開眼控帳(おほんぞんしゅつげんかいげんひかえちょう)」などの記録物を現有している。
また、明治5年学制発布により学校開設以来、明治33年までの間、牛鹿区住民の子弟たち(明治11年誠倫学校のころは児童数男54人・女38人・計92人)がここに集まって学んだゆかりの地でもある。
地図
所在:大字牛鹿1198
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更新日:2023年04月27日