山部学校
立科町山部地区にある山部学校は、明治6年12月に山部、牛鹿、宇山の3村が共同で津金寺を仮校舎として発足した「誠倫学校」を翌明治7年7月に山部村の郷倉を改修して移り本校として開校した。
その後、牛鹿、宇山に分教場を配し桐原学校を派出所とした時代もあったが明治13年誠倫学校を「山部学校」と改称し、同22年には「横鳥尋常小学校」と改めさらに明治42年5月滝神に新校舎を新築して移転するまで約35年間維新の児童教育の殿堂であった。
保科五無斉百助は、誠倫学校開校の年に入学し後に本校で教鞭をとったと伝えられ、隣接して五無斉の生家がある。
当時、本校を置いたのは山部誠倫学校と茂田井昭明学校の2校のみといわれ、今もその後を残しているのはいるのはこの山部学校のみとなったがその威風を漂わすかのような姿は貴重な遺産である。
地図
所在:大字山部848-1
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更新日:2023年03月31日