駒形社
立科町外倉にある駒形社は、祭神を宇計毛知命(うけもちのみこと)とされているが、本来駒形神社は「駒の神」とされ、比較的平坦な広野で牧場に適したところに多くあることから牧場のあった場所に祀られたといわれる。
また、駒形神社は別に「高麗形(こまがた)神社」ともいい、馬そのものの守護神であるばかりでなく駒の飼育の指導にあたった高麗(朝鮮)からの帰化人たちが、自分たちの奉仕する神として祀ったものが、いつしかその業である駒に転化したのではないかという説がある。
日本書紀の天智天皇5年(666年)の条に「この冬百済(くだら)男女2千余人を以て東国に居らしむ」とあり、さらに続日本書紀の霊亀2年(716年)の条に「高麗(こま)人1,799人を以て武蔵に遷(うつ)し高麗(こま)郡を置く」とあり、今の埼玉県入間郡日高町には当時の帰化人の首長を祀った「高麗(こま)神社」があることから東国における牧場の技術は、あるいはこの様な人々の指導によって発展したと考えられる。
立科町内には、外倉駒形神社の他に藤沢にもある。
地図
所在:大字牛鹿1214番地2
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更新日:2023年03月31日