雨境峠祭祀遺跡群

更新日:2023年03月31日

輪切りにしたような形のいくつもの臼玉が紐でつなげられた物、楕円形やひし形をした有孔円板・剣形などの遺跡が並んでいる写真

雨境峠は、蓼科山北麓に位置する標高1,580メートルの峠である。

古代、大和政権は東国支配のため官道の東山道を開いた。この道は、大和より美濃を通り、神坂(みさか)峠を越え信濃に入り、諏訪から雨境峠を経て、毛野(けの)・武蔵(むさし)・陸奥に通じ、大和政権の東国統治の兵や、東(あずま)の壮丁(そうてい)たちが西国の守りにと往来し、東西を結ぶ交通路として歴史的にも重要な道であった。

この峠には、5~6世紀頃の祭祀遺跡、鳴石(なるいし)・鍵引石(かぎひきいし)・勾玉原(まがたまはら)などがあり付近から多数の滑石模造品類(勾玉・管玉(くだたま)・臼玉(うすだま)・有孔円板・剣形)が発見された。この模造品は、この峠を通行する旅人が、峠の神に旅の安全を祈り幣(ぬさ)を捧げたものであろうと想像される。

地図

雨境峠祭祀遺跡群の場所を赤丸で示した地図

所在:立科町大字芦田八ヶ野字与惣塚59番地~字女神湖113-5番地

県道白樺湖小諸線 雨境地区の立科側、望月側の合流地点近く

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