神代杉
古い史籍(しせき)に現れるのは、蓼科神(たてしなしん)で陽成(ようせい)天皇から元慶(がんぎょう)二年(878年9月16日)に正六位から一階すすめて従(じゅう)五位下を授けられている。
蓼科神社の奥社は蓼科山頂にあり、この社は里宮(さとみや)といい古い山岳信仰(さんがくしんこう)の原形をそのまま伝えている。明治八年蓼科神社と改称される前は高井大明神(たかいだいみょうじん)といい、里俗(りぞく)では飯森神(いいもりがみ)、八王子権現(はちおうじごんげん)ともいわれる。また古い棟札(むなふだ)によると八塩権現(やしおごんげん)とも云われた。時にこの神代杉は目通り約10メートル、樹高約20メートル、樹齢1500年におよび蓼科神社の御神木(ごしんぼく)として旧藩時代より保護が加えられてきた。
平成元年長野県内の巨木調査により十本のうちの一つにして十位である。
地図
所在:立科町大字芦田424
県道白樺湖小諸線を中居交差点から白樺湖方面へ2キロメートル
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更新日:2023年03月31日