南嶽山光徳寺
光徳寺は、文明年間(1469~1487年)に芦田城二代城主芦田右衛門(えもん)太郎「光玄」が父の芦田備前守「光徳」(芦田城初代城主)の追福のために建立したもので寺号も父の法号とした。曹洞宗で開山は「鷹林」である。天正18年(1590年)「光玄」の嫡流(ちゃくりゅう)松平(芦田)右衛門太夫「康真」が上州藤岡に移封される。七世「猶国(ゆうこく)」もまた伴って越前木元にも光徳寺を建立した。
松平(芦田)氏が佐久地方を去るとこの地方は仙石秀久(小諸)の領土に属し多くの社寺が没収され光徳寺も一部を残すだけとなったが慶長末期「猶国」は君主「康真」に従い故山に帰り光徳寺を再興し、寺田を設けた。
光徳寺は、芦田氏研究の中枢的存在としてその歴史的価値が高く評価されその寺宝は文化財の課題となっている。
地図
所在:立科町大字芦田424
県道白樺湖小諸線を中居交差点から白樺湖方面へ2キロメートル
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更新日:2023年03月31日